無駄好き

余白通信の表紙に、こう書いた。

人生は、無駄だらけ。
だから、面白い。
たまには自分の人生を休みましょ。
コーヒーでも飲みながら。

経験を積むと、歳を重ねると、無駄が少なくなる。
役に立つこと(というより、役に立ちそうと勝手に思っていること)ばかりするようになった気がする。時間は有限で、とても大切だから、できるだけ有意義に過ごしたいと、そんな頭が働くようになってしまった。

でも、である。
何が役に立つかとか、自分にとって良さそうとか、本当はあまり分からない。好きなことだけをする、というのも、あやしい。何が「好き」なのか、それは日々触れる様々な情報によって、変化を加えながらつくられている。気づいていないこともあるし、思い込んでいるだけのこともある。

より良い人生を歩みたいと強く思っている時、肩に力が入っていて、視野が狭くなっていたような。散歩みたいなものだと、目的地などないと、無駄になって当たり前のものだと、それくらいに思っている時の方が、あれこれ偶然を愉しむことができる。

縁は、縁(ふち)にある。どうでもいいことが、ふっと浮かびあがるから、面白い。

地元に帰ると、必ずバッティングセンターに行く。もちろん、意味はない。