『ちょうどいいコーヒー』の「はじめに」を掲載します。

はじめに

まだ冷たい雨の降る三月、塩屋という町に引っ越した。神戸の中心部から電車で約二十分、ほどよい距離にある小さな海町。海と山とが近く、その間を縫うように小径や坂道がある。ねこがいる。

僕たち夫婦は、そんな塩屋の坂の上で、コーヒー豆屋を営んでいる。古い一軒家を借りて、焙煎をしながら暮らしている。家なので、営業時間も定休日もない。朝起きて、お粥とみそ汁を食べて、レーズンとクコの実の入ったヨーグルトを食べて、コーヒーを一杯飲む。それから豆を焼く。予めご注文いただいた分だけを、毎日順番に焼いている。それを全国に発送し、近所は歩いて配達する。坂を上って、取りに来てくださる人もいる。気取った言い方をすれば、「完全予約制」というわけだ。

「それで生活できるの?」ということをよく聞かれるし、「これで生活できるの?」と不安に思う時もある。でも、不思議と愉しく生活できている。

僕らは普段、ほとんど町を出ない。特別な用事がない限り、家から半径一キロ圏内で生きている。坂を下りて一キロ、駅前の個人商店で買い物をする。とうふはとうふ屋、魚は魚屋。総菜店のコロッケに誘惑され、路地の奥からケーキ屋に見つめられる。

一方で、坂を上って一キロ、「イオン」に行くこともある。「コーナン」もあるし、「スーパー銭湯」もある。小さな道には小さな店が、大きな道には大きな店が、上手い具合に並んでいる。そしてそれらは、海と山とが急接近するのに合わせて、ぎゅっと近い距離にある。塩屋は、そのサイズ感が「ちょうどいい」町だ。

そんな小さな町なので、すぐに顔見知りが増える。引っ越しから間もない頃でも、近所の人が「いってらっしゃい」とか「おかえり」とか言ってくれた。人と人との繋ぎ目になってくれる面白い人もたくさんいて、気がつけば色々な人の縁の中にいた。おかげで、町を歩けば偶然誰かに出逢い、「ついでに」コーヒー豆のご注文をいただくこともある。これも、「ちょうどいい」サイズの町ならではだろう。

僕らは、そんな生活を求めて塩屋に移住した。「ちょうどいい」を大切にした、身の丈にあった生活。それは決して、楽をすることでも妥協することでもなく、生きている実感が湧く小さな範囲に、責任と誇りを持って、必死になるということだ。

生活のコーヒーを届ける仕事をしている以上、コーヒーと生活とは分断できない。ひとりの生活者として、きちんと生活をして、自分の日常を愛することが、コーヒーにも繋がってくる。

コーヒーも、ひとつの家庭料理だ。手を抜き過ぎず、肩肘張らず、「わが家の味」を大切にすると愉しい。知識や情報で「おいしい」を固めてしまわずに、自分にとっての「ちょうどいい」を大切にすると心地良い。

そのために必要なのは、「ドリップの湯温は何℃が最適」なんていうバラバラの知識ではなく、それらを繋ぐ知恵や眼差し。そして、コーヒーを、着飾るためのものにすることなく、自分の生活の中で愉しむこと。

そんな、「ちょうどいい」コーヒーの話を、いくつか。できるだけ、生活感あふれる切り口で、生活のリズムで書けたらと思います。