ちょうどいいコーヒーの見つけ方

第1回 「ちょうどいい」を求めて

 気がつけば、まちのコーヒー屋が増えていた。書店でも、テレビでも(僕はテレビを持っていないので、あくまで聞いた話によると)、「コーヒー」が取り上げられることが増えた。「コーヒー屋をやっています」なんて言うと、ほとんどの人が「最近、コーヒーのお店増えましたよね~」なんて返してくる。

 僕が「将来はお店をやって暮らしたい!」とか周りに言い始めた頃(14歳なので、約15年前)には考えられなかったことだ。少なくとも、僕の住んでいたまちには、そんな様子は微塵もなかった。

 そして、ただお店が増えただけでなく、とても「おしゃれ」になった。ラテを片手にまちを歩き、コーヒースタンドでおしゃべりをすることは、日常の風景となった。「バリスタ」という言葉も、「ロースター」という言葉も、「スペシャルティコーヒー」という言葉も、「なんか聞いたことある」くらいにはなった。知らぬ間に「大会」や「フェス」なんかも開催されていて、「ワールド~チャンピョン」なんて肩書きの付いた人が、爽やかな笑顔で語りかけるシーンもよく見かける。

 象徴的だったのは、ロバートの秋山さんがやっている「クリエイターズ・ファイル」にバリスタが取り上げられたことだ。これは、「あ~、いそう」と想えるような職業の人を、秋山さんが多少大げさに、面白く演じているものなのだが(すごく面白いので、ぜひ見てください)、「あ~、いそう」と想えるくらいにまで、バリスタという職業が普通のものになった良い例だなあと感じた。

 多くの人が「コーヒー」やその周りに興味を持ち始め、興味がなくとも「なんか知ってる」ようになったことは、ものすごく良いことだ。何事も、まずは「なんか知ってる」人が多くならなければ、価値を帯びにくいし、様々な動きが生まれない。

 ただし、ひとつ気がかりなことがある。それは、前述した「最近、コーヒーのお店増えましたよね~」という言葉に、「(結局何がいいかよく分からないけど)」という響きを伴うことがとても多い気がするというものだ。あっという間に煌びやかな世界となった「コーヒー」に、少し気おくれしてしまう感覚。おしゃれ過ぎる感じに、馴染めぬ感覚。

 コーヒーの風味は、「青リンゴのような」と、耳馴染みのない食材に喩えられることが増え、なんだか横文字が増えた。選択肢の地図が一瞬で広がり過ぎて、今、自分がどこに居るのか分からなくなったような、そんな感じ。

 「コーヒーはすごく好きで毎日飲むんですけど、詳しくはないです」、本当によく言われることだ。この言葉を聞くたびに、なんだか申し訳ない気持ちになる。「わかる人には、わかる」、そういうイメージが強くなっているのかもしれない。

 コーヒーに限らず、現代は情報が溢れている。どんな情報を自分に着せるか、そんな「センス」を見せ合っているような時代にも見える。「あまり叩かれない情報」や「豊かな暮らしの情報」なども、全身コーディネートのセットで売られている。

 もちろん、それは悪いことではない。でも、もしそれに疲れているのなら、もっと別の方法を考えてもいいかなとも思う。

 もっと肩の力を抜いて、しっかり呼吸をして、自分の感覚も大切にする生き方。自らの内部の世界と、外の世界の両方を持つこと。コーヒーは、その間に。

 「おいしい」は人それぞれだ。良い情報を探し求めるのではなく、自分にとって「ちょうどいい」と感じられるコーヒーを求めていく方が、きっとずっと愉しい。そしてそれは、きっと心地良い。

生産地がどうとか、これが高価だとか、流行りだとか。これをチョイスするのが「カッコいい」だとか。そういう情報を一度置いて、これを読んでいる人が自分で「コツ」を見つけたり、自分で「ちょうどいい」を見つけたりできるようなコーヒー案内を、少しずつ書いていけたらと思う。

着地点が分からないので、どうなるか分からないけど、肩の力を抜いて読んでほしい。