ちょうどいいコーヒーの見つけ方

第2回 ちょうどいい豆はどこに①

 「ホワイトグレープフルーツを思わせる爽やかな酸味」
 「アフターテイストと甘みが口の中でゆっくりと持続するクリーンなカップ」
 「ベリーのような華やかさ」

 これらはすべて、コーヒー豆の説明だ。何度読んでも、全力でイメージを膨らませても、よく分からないと感じた方々がいて当たり前。なぜなら、これらはすべて「専門用語」だからだ。

 コーヒー豆は、世界中で取引されている。そんな国際商品は、政治を含め、様々な事情が絡んでくる。奪い合ったり、騙し合ったり、例えば仲良くしていた国は優遇され、敵対していた国は追い込まれ、なんてことは「あるある」らしい。

 もちろん、それらを暴いたって、否定したって、何の役にも立たない。ただ、価格や流行り、そして価値は、色々な出来事に左右されるということを、改めて知っておいた方が良さそうだ。その市場が大きければ、なおさら。

 先ほどの「専門用語」は、価値の「ものさし」を作ろうではないかと誰かが言い始め、皆がそれを使い始めたものだ。例えば、その「ものさし」を使って評価された高価な豆を仕入れたとする。この豆の価値を誰かに伝えようとなると、結局、「ものさし」から言葉を選ばざるを得ない。だから、普通の感覚では「?」となるような言葉が並べられる。

 たしかに、「ものさし」ができたおかげで、それに合わせて作れば高値で買い取ってもらえ、豊かになった生産者もいるだろう。生産者はモチベーションが上がり、消費者はきちんと評価されたコーヒーを飲むことができ、みんながハッピーな仕組み。

 でも、本当にそんな単純な話だろうか?

 もし、その「ものさし」が消費者に浸透せず、やっぱり売れないとなると、たぶん新しい「ものさし」をつくり始めるだろう。様々な作戦を立て、きれいな「ものさし」にして、消費者に浸透させようとする。困るのは、生産者。振り回されっぱなしの構図が変わることはない。

 前置きが長くなってしまったが、この「ちょうどいいコーヒーの見つけ方」では、「ものさし」を使わない。カッピングの専門用語やスコア、生豆のグレードは重視しない。もちろん、それらを重視して購入することを否定するわけではないが、そういうフィルターを取ってみて、もっと身近な感覚からステップを踏んでみたい。

 さて、まずは「コーヒー豆って何だ」というところから。

 コーヒー豆は、コーヒーノキの果実から、果皮や果肉を取り除いた種子(生豆)を、焙煎したもの。同じくらい浸透している嗜好品で「茶」があるが、これは植物の葉の部分をいただく飲み物。「コーヒー」と「茶」の愉しみ方や淹れ方が異なるのは、この「種子」と「葉」とのつくりの違いが関係しているのだが、それはいつかまた詳しく。

 生豆は、ほとんどすべてが海外からの輸入品だ。いわゆる「地産地消」ではない。海の近くだから、海鮮料理が美味しいというような、国内の各地域の特色などは、生豆の段階では一切ない。この店もあの店もその店も、同じ生豆を使っているということがよくある。

 また、生豆は食べることも飲むこともできない。正確に言うと、美味しくはいただけない。他の食材と同じように、「どうすればこの植物を食することができるか」という長い歴史の中で、焙煎するところに辿り着いた。かたく、青臭かった生豆が、焙煎することによって、繊維が広がり、いい香りもするようになる。

 「生で食べることができない」ということは、コーヒー豆を考える上でとても重要だ。例えば、魚や肉など、「生で食べることができる」ものは、「素材の良さを生かすために、あまり調理しない(あるいは生でいただく)」と聞くとそれっぽいが、コーヒー豆にはそれが通用しない。必ず、きちんと調理する必要がある。

 次回は、その「調理」から、コーヒー豆選びを考えてみる。