ちょうどいいコーヒーの見つけ方

第2回 コーヒー豆は、生では食べられない

 

 「ホワイトグレープフルーツを思わせる爽やかな酸味」
 「アフターテイストと甘みが口の中でゆっくりと持続するクリーンなカップ」
 「ベリーのような華やかさ」

 これらはすべて、コーヒーを評価する際の「専門用語」です。いまいちイメージが湧きませんね。それなのに、どうしてこのような言葉が使われることがあるのでしょうか?

 それは、コーヒー豆が、世界中で取引されているからです。世界共通の、価値の「ものさし」が必要だったのですね。この「ものさし」ができたおかげで、それに合わせて作れば高値で買い取ってもらえ、豊かになった生産者もいることでしょう。生産者はモチベーションが上がり、消費者はきちんと評価されたコーヒーを飲むことができ、みんながハッピーな仕組み。

 でも、本当にそんな単純な話かなと、ひと呼吸おいてみます。

 もし、その「ものさし」が消費者に浸透せず、やっぱり売れないとなると、たぶん新しい「ものさし」をつくり始めます。新しくて、きれいな「ものさし」にして、様々な角度から浸透させようとするでしょう。振り回されっぱなしの構図が変わることはありません。そもそも、多様な食文化があるにもかかわらず、価値をひとつに統一してしまうなんて、本来無茶な話なのです。

 ですので、この「ちょうどいいコーヒーの見つけ方」では、あえて「ものさし」を使いません。カッピングの専門用語や点数、生豆のグレードは重視しません。もちろん、それらを重視して購入することを否定するわけではありませんが、もっと身近な感覚から、別の場所からステップを踏んでみようと思います。

 まずは「コーヒー豆ってなんだ」というところから。

 コーヒー豆は、コーヒーノキの果実から、果皮や果肉を取り除いた種子(生豆)を、焙煎したものです。種を焼いたものなんですね。

 同じくらい親しまれている飲み物で「茶」がありますが、これは植物の葉の部分をいただく飲み物です。「コーヒー」と「茶」の愉しみ方や淹れ方が異なるのは、この「種子」と「葉」とのつくりの違いが関係していたりします。

 この生豆、そのままでは美味しくいただくことができません。「どうすれば、食べることができるか」という長い歴史があり、焙煎にたどり着きました。かたく、青臭かった生豆が、焙煎することによって、繊維が広がり、カリッとして、いい香りを放ちはじめます。先人の気づきや知恵は素晴らしいですね。

 さて、「生で食べることができない」ということは、コーヒーを考える上でとても重要なことです。生豆の評価以上に、調理で色々変わる余地があるということですから。そして、コーヒーの調理は、「焙煎」と「抽出」のふたつです。次回からは、そのあたりの話を。