ちょうどいいコーヒーの見つけ方

第3回 ちょうどいい豆はどこに②

 前回のおさらいになるが、コーヒー豆は種子の部分で、生では美味しく食べられない。焼いてこそ、調理してこそ、の食材だ。

 「あれ、じゃあ生豆の評価って何で決まるの?」と疑問に思った方、とても鋭い。焼かないと食べられない、分からないものを評価する、それはとても難しい。しかも、「おいしい」って人それぞれなのに、誰の「おいしい」に合わせるの?となるからややこしい。

 だから採用されているのは、「豆の大きさ」だったり、「採れた標高」だったりする。それがカタカナやアルファベットで表記されているから、つい「これが、おいしい生豆っぽい」と勘違いしてしまうのだが、ほとんど関係ない。

 「高地産は評価が高い」とされているが、これも「おいしい」に繋がることは説明できない。栽培の高度が変化すれば、成分の組成には間違いなく影響が出るのだが、もちろん標高だけでなく、日照時間や土壌、傾斜などなど、様々なことが複雑に絡み合って影響している。その中で、簡単に数値化しやすい標高だけを取り上げても、風味の評価にはならない。

 また、前回書いた「ものさし(風味の評価)」は、「誰にとってのおいしさ?」という問題がある。もちろん、「ものさし」をつくった人、あるいはつくった国にとってだ。民族によって、身体のつくりや食文化が異なることは当たり前のことだ。ありがたがる必要はない。

 そして、調理しなければ食べられないものを評価する時、「どう調理するのか?」という問題もある。それを解決するために、「あまり焼かない」ことが採用されている。焼きすぎると、豆本来の香り以上に、焼いたことによる香りが強くなり、判断が難しくなるし、そのポイントをかなり手前にすることによって、調理する人による違いを出さないようにする。

 そう、極端な浅煎りだ。そうすると、酸味が強く出て、個性がわかりやすくなる。だから、「ものさし」の言葉には、酸味に関するもの(ホワイトグレープフルーツを思わせる・・・)が多い。そうして評価され、点数をつけられたものを仕入れるのだから、焼きすぎると「違い」がなくなってもったいないと、浅煎りで出されることが多い。

 でも、これはあくまでも「違い」が最もわかりやすい焼き加減。「素材の良さを引き出す」ことが、「他との違いを最も出す」ことなのか、「食べてもらう人にとっての、おいしいを引き出す」ことなのか。酸味が苦手な人が多いのにもかかわらず、酸味を強調する店が増えていることには、そんな背景がある。

 さて、標高や点数や生豆の評価(価格)は、ほとんどアテにならないとわかった。コーヒー豆は、焼いてこそ、これに尽きる。

 だが、ひとたび調理してしまうと、賞味期限がぐっと縮まる(生豆だと数年、焙煎豆だと1ヶ月、液体のコーヒーなんて尚更)ので、世界中で生豆の状態で取引されている。完成品の液体が評価され、流通するワインやウイスキーとの大きな違いがここにある。嗜好品の括りなのか、ワインと照らし合わされることの多くなったコーヒーだが、世界の成り立ちが全く違うのだ。

 調理を知ることで、豆選びはぐっと「ちょうどいい」に近づく。生で食べられないものを調理する時に、大切なことが2つある。

 ひとつは、生焼けにしないことだ。カツオのたたきが美味しいのとは、わけが違う。生で食べられないのだから、きちんと火を通す。あまりにも酸味が強すぎたり、極端に色付きが浅かったり、あとは豆が硬すぎたり(粉で買うと分からないけど)。そういう時は、生焼けの可能性が高い(胃腸も重くなる)。

 もうひとつは、焦がさないことだ。焼きすぎて、丸焦げになれば、それはコーヒー豆ではなくなる(炭だ)。深煎りでも、焦げていない、これが腕の見せどころだ。

 当たり前かもしれないが、このふたつの幅の中に、「ちょうどいい」がある。そう、「焙煎度」は、豆選びにおいて最も大切なことだ。

 次回は、「焙煎度」について考えてみる。