違和感を忘れないこと

先日、外出ついでにチェーンの定食屋に行った時のこと。

休日の晩ご飯時だったので、きっと混んでいるだろうなーと思いながらドアを開けると、案の定、数組待ちでした。

そして、こんな張り紙。

「本日、スタッフ急病のため、ホールを1名で営業しています。お席へのご案内を制限しておりますので、何卒ご了承ください。」

ぼけーっと待っていると、少し後に、キッチンからホールへ、1名手伝いに出てきました。

そして、その張り紙の「1名」に斜線を引き、手書きできちんと「2名」に訂正していました。

様々なお客様が来られるお店では、よくある光景です。

最初、1人でホールにいた女の子(たぶん、学生さん)が、「空席があるのに何故案内しないんだ?」と言っているお客様に、必死に説明していました。

きっと彼女が「この前バイトでこんなことがあって・・」と誰かに愚痴ると、それを聞いた人は「あるあるだね。」と言うことでしょう。


「人がひとり、ふたり体調不良になる」、そんな「可能性がそれほど低くないこと」が起こっただけで、ただちに上手く機能しなくなる。

無駄を省き、合理的なシステムに頼る世の中は、想像以上に脆いようです。

多くの人がその違和感を抱えながらも、それが「仕事」、それも「仕事」だと言い聞かせるしかない状況です。

これは、働く側だけの問題ではありません。

合理的なシステムにどっぷり浸かって生きていると、当たり前のことが当たり前でなくなるようです。

人が足りなくて困っている、そんな状況に直面した時、「手伝おうか?」という感情が自然と生まれるはずです。

でも、「お客様」である僕らは、その境界線を越えないこと、システム上「お客様」であることを優先して、その感情をなかったことにする。

邪魔しないように、黙って座っておくことを選択する。

合理的なシステムに、後から引いた境界線に、ものすごく従順な自分に気づきました。

もちろん、全員がきちんと「お客様」であることによって、スムーズに均一なサービスを受け取れるという事実もあります。それこそ、全員が手伝い始めたら、きっと収拾がつかなくなるでしょうし。

ただ、そうやってノイズなきサービスを受け取ることだけが、人間にとって本当に良いことなのかどうかは、少し考えてみる必要がありそうです。

もしかすると、社会のノイズこそ、人間らしい感情をもたらすものなのかもしれないと思ったりしながら、ノイズとなることを恐れず、コーヒー屋として、できることを考えてみます。

「このままではきっと良くない」という漠然とした違和感を、素直に受け止め、忘れないように、きちんと感じ続けられるように。

 

2017年11月23日